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[毎年9月17日は 「歴史と人権を考える日」 ]

町民の方へ

毎年9月17日は 「歴史と人権を考える日」

 この「歴史と人権を考える日」は、本町の発展に寄与し、筑豊・田川の名が全国に知られることになった炭鉱や、この炭鉱において不慮の事故で亡くなった多くの方々の事だけでなく、本町出身で人権や命の尊さについて身をもって教えてくれた方々のことを後世に語り継ぎ、「みんなで考える日」として始まったものです。
 

【  目  的  】

 人とひととの和をひろめ、自然と親しみ郷土を愛し、心やすらぐ町づくりを目指しています。本町として、人としての心を大切にしていきたいと思います。
 そのような観点から、いじめや差別などによる人権侵害を防ぎ、人権や命の尊さを大事にしていきたいと考えます。
 

なぜ9月17日なのか?

 真岡炭鉱第三坑事故が昭和20年9月17日に発生し、平成21年9月17日に第1回献花式が行われました。戦争から約80年、炭鉱閉山から約65年と歴史が移り変わり、当時を知る人が少なくなっているかと思いますが、炭鉱という田川が誇る歴史と人権尊重の心を忘れないようにするためにも、本町ではこの日を「歴史と人権を考える日」としています。
 世界中では未だ戦争など衝突が絶えず、日本でも大雨災害や震災などが多く発生していますが、そのような時にこそお互い助け合い・人権尊重の心が必要なのではないでしょうか。「命の尊さ」と「人としての心」を教えてくださった方々のご冥福をお祈りするとともに、人権や命の尊さについて、皆さんで改めて考えてみましょう。

今年度の取り組み

◆  9 月 炭鉱当時の備品資料などを住民センター(役場併設)ロビーに展示
◆11月   いとだ祭(糸田アリーナ) で炭鉱・人権に関わる展示などを予定
 ※詳細が決まり次第ホームページなどでお知らせします。


~問い合わせ先~
糸田町役場人権推進課
TEL 0947-26-4024

【慰霊之碑】北区納骨堂横

 献花式の発端となりました真岡炭鉱第三坑事故とは、昭和20年9月17日、過去の大きな台風のひとつ枕崎台風が上陸し、嵐がふきあれるなか、不幸にもこの事故が発生しました。
 同僚と事故を聞きつけた地元住民総出で救出にあたりましたが、4人を助け出すことが出来ませんでした。
 この事を後世に残そうと、故田中正芳さん(元町長)と地元の有志が北区納骨堂横に慰霊碑を建て、冥福を祈り後世に残すこととしました。

【鎮魂之碑】貴船神社

 貴船神社境内にある鎮魂之碑で、豊国炭鉱坑内事故により亡くなられた人の慰霊碑です。
 豊国炭鉱坑内事故の犠牲者は、明治32年6月には210人、同40年7月には365人(この事故は、明治期最悪の事故として記されています)。いずれも一瞬のうちに犠牲者を出しました。
 当時は日露戦争の前後であり、石炭の増産が直接戦局に影響を与える重大な時期の事故であったため、海軍大将東郷平八郎閣下が哀悼の意を込めて自ら表書を書いた碑であります。
 その後もたびたびに事故などがあり、これらの犠牲者も一緒に慰霊するため、昭和10年1月1日に豊国炭鉱関係の各坑口名で土台をつくり、その上に鎮魂碑を設置しました。その後、豊国炭鉱の閉山と同時に鎮魂碑をそのままの姿で、現在の貴船神社の境内に移転しました。

【忠魂碑】東保育所横児童遊園

 「戦争は最大の人権侵害」と言われ、未だ世界中で多くの争いが繰り返されておりますが、日本でも第二次世界大戦など過去に様々な戦争が起こり、多くの尊い命が犠牲となりました。
 この忠魂碑は、戦争で犠牲となった方々を思い昭和3年に糸田小学校校庭に建立したもので、その後伯林寺へ移転されたのち、現在は東保育所横児童遊園内に移転されております。

【 顕彰碑 】糸田アリーナ

 人命救助中に亡くなられた人の顕彰碑です。昭和59年5月12日、埼玉県春日部市、東武鉄道春日部駅構内において、ホーム下線路上に転落した男性を救助するため、電車が接近しているにもかかわらず線路上に降り、救助活動中に殉難されました。
 これは、命の尊さを全国に知らしめることになりました。

[本文はここまでです]

糸田町(人と自然が親しむ心やすらぐまち)

糸田町のキャラクター イトちゃん&ター坊

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