史跡・文化財
千人塚
町指定文化財 第6号
千人塚(史跡)
側面には、享保17年(1732)稲が腐り、老若男女44人が餓死したという意味の碑文が刻まれております。糸田町には先に見た「宮床村供養碑」とこの「千人塚」と、伯林寺にある「糸田村供養碑」と三基が現存しております。享保の飢饉の死者は、糸田村において382人・宮床村で39人・鼠ケ池村で44人・大熊村で18人死亡しており、当時の糸田町住民の約半数が死んだ計算になります。
この千人塚は平成10年6月30日に町指定史跡になっております。
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